注目諸塚村の地図を見る

●諸塚村の人口こちら

奥日向・諸塚村から情報発信します。
故郷を離れている人たちに、故郷の今を伝えたい!

twitterでもつぶやいてます!


■諸塚村の情報リンク!■
旬な情報「もろつかナビ」
諸塚村役場ブログ
中山間派遣駐在員ブログ
元気なきこりさんブログ
宮崎にこんね、住まんね
樹の里 森の民宿
もろっこはうす


最近の記事
過去記事
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人

2009年05月01日

村政施行120周年

本日5月1日で諸塚村は村政施行120周年を迎えるようです。

諸塚村は明治22年(1889年)5月1日に七ツ山村と家代村が合併して諸塚村となりましたが、その名称は古来より霊山として住民の尊崇を集めていた諸塚山に由来しています。

■概要(諸塚村史)
・1884年 臼杵郡を東西に分け、西臼杵郡に編入される。(1949年に東臼杵郡に編入)
・1889年 家代村と七ツ山村が合併して諸塚村が誕生。大字七ツ山本村に役場を開庁する


明治政府の行った廃藩置県(1871/明治4年)から西南戦争(1877/明治10年)と近代日本の歴史をたどり、当初は西臼杵郡であったようで、西南戦争の足跡は西郷軍が敗走したとされる石碑が、村内にも見受けられる。

さすがにその当時の事を知っている人は現存しないが、今でも西郷軍が投宿したとされる地区もあり、年配の方には幼いころに様子を聞いた方々もいるようです。

幕末から近代日本への変遷期は、学校で習う歴史授業や大河ドラマなどでしか窺い知れない事の様であるが、この村が誕生するわずか以前のことであるという事をあらためて思い知る事となった。

九州山脈の奥深い山里にも、近代国家の足音がどのようにして響いてきたものか当時の様子を見てみたいものである。

村政施行120周年飯干峠の碑

同じカテゴリー(現在の数字)の記事
 諸塚村の統計 (2010-01-07 10:41)
 人口 (2009-04-03 01:07)

Posted by グージー at 21:13│Comments(6)現在の数字
この記事へのコメント
その土地の名前の由来や、歴史は、必ずあるわけで、
聞くと、もっと知りたくなるし、急に、

「いいところなんだなー」
と、思い行きたくなりますね。
Posted by 助さん at 2009年05月02日 13:01
こんにちは。
諸塚まだ未踏のちです。
必ず訪れてみたい土地です。
グージーさんの助言のお陰で
ブログ楽しみながら
続けています!
 これからも宜しく!
Posted by もとちゃんもとちゃん at 2009年05月02日 18:08
こんにちは。
お久しぶりです、♪
西郷軍が敗走した道の石碑があるなんて、すごいですね!驚いていますよ!v(^0^)v

役所の観光課で、
当時の事を、語り伝えている方のお話をまとめられて、「西郷山道」の案内をされると、素晴らしいのになあ、と思います。

私は、先日、東京・六本木、サントリー美術館で「まぼろしの薩摩切り子」展を観て、感動しました。(^-^)/*
Posted by kiko at 2009年05月03日 15:27
七ツ山に私の同級生がいました
(延岡工業 バレー部)S41年うまれ
Posted by 店長店長 at 2009年05月04日 19:00
コメント頂いた皆さん
ただ今PC環境の無い所に居ますので、帰ってコメント致します(___)
Posted by グージー at 2009年05月04日 19:23
>助さん
身近な歴史って面白いものがありますよね。
意外と感動するのですが、いつの間にか忘れているのが、情けないですが(^^)

>もとちゃん
県内でも意外と知らないところが沢山ありますよね。
私の助言ですか!いえいえ私も同じ助言を頂いたことなんですよ。
でも、ほんとそうだな~と実感しています^^

>kikoさん
ようこそ~!
地元に史談会という地元の歴史文献などを調査されてる方々がいます。
調査の様子をHPなんかにすると良いのでしょうけどね

おっしゃる様に、地元を案内するツアーなどに利用されると良いのでしょうけど。

>店長さん
バレー部ですか?
でも諸塚に在住なのかは分かりませんからね!
気合入れて探したら、分かるでしょうけど(少ない人口なので!)
Posted by グージーグージー at 2009年05月06日 10:46
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
村政施行120周年
    コメント(6)