2010年01月11日
成人式
今年の新成人者数は152万人(総務庁)だそうです。
諸塚村でも1月3日に中央公民館において成人式が開催され、新成人者が大人としての自覚を認識したことだと思います。
諸塚村では恒例的に1月3日に成人式が行われていて、新成人者をはじめ両親や家族、そして多くの来賓の方々が出席し、村全体でその日を祝う、文字通り式典にふさわしい厳粛なものである。
中学校を卒業すれば進学するにせよ就職するにせよ、親元を離れて生活しなければならない山奥の村では、正月帰省のこの日を成人式にした方が、皆が揃いやすかったのでしょう。
成人式の始まりは戦後間もない昭和23年(1948年)に国の祝日法により、成人の日が制定された事で、全国の自治体で行われるようになったようです。
実は、諸塚村の中央公民館には「成人式発祥の地」の碑が、玄関横に設置されています。
諸塚で生まれ育った方は、一度は目にし、その内容を郷土学習などで話を聞いた事があると思います。
こんな山間の村に、「成人式発祥の地」の碑を刻むことにはじめて訪れる方は驚くかもしれません。
しかし、発祥の地としては他にもあるようです。
現に、インターネットで検索してみると<埼玉県北足立郡蕨町(現在の蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている>といった内容が目につくようである。
http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/menu000004600/hpg000004590.htm (蕨市公式HP)
では、なぜ諸塚村が公に「発祥の地」をうたっているのか?
参考:諸塚村史(p653~655)
式典の開催日を比較してみると、蕨市(わらびのし)のほうが、開催した日は早いようである。
しかし、諸塚村では式典を開催する前に「成人講座」を開催しているようで、男子20歳・女子18歳の青年を対象に10日間の合宿での講座を行った。
この時期が、田植え等の農繁期を過ぎた時期に開催されたようなので、昭和21年の6月頃であったようだが、残念ながら諸塚村史ににはこの記載が無いようである。
私が成人式を迎えた年(昭和54年)位までは、期間や内容に違いはあれ、この講座が行われていたようだが、その後なくなたようだ。
この事は時に話題に上がることで、式典の開催としては蕨市(わらびのし)が早いが、そのうったち(きっかけ)になる諸塚村の成人講座を開催したことが数カ月早いものであると、少からずも満足している事である。
現在、さらに詳しく成人講座のことを調査されている方がいるようなので、詳細な期日等が判明するかもしれません。
別にここで、どちらが先かの論争をする気も無い。
それよりも戦後に「宮崎県一貧乏なむら」と新聞報道までされた本村が、終戦直後に青年教育を第一に行ったことは、当時の先人達の偉大さに敬服せざるを得ない事であり、ふるさと諸塚村を誇りに思える事であろう。
ところで、本日の記事にたまたま目にした関連がこちら↓
西日本新聞 22年1月11日 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/145415
◆◆◆◆◆平成22年3月8日追記◆◆◆◆◆
参考になる記事を見つけましたので、リンクいたします。
てつ校長のひとり言→私の祖母・中村ハルは成人式発祥講座の講師でした
諸塚村でも1月3日に中央公民館において成人式が開催され、新成人者が大人としての自覚を認識したことだと思います。
諸塚村では恒例的に1月3日に成人式が行われていて、新成人者をはじめ両親や家族、そして多くの来賓の方々が出席し、村全体でその日を祝う、文字通り式典にふさわしい厳粛なものである。
中学校を卒業すれば進学するにせよ就職するにせよ、親元を離れて生活しなければならない山奥の村では、正月帰省のこの日を成人式にした方が、皆が揃いやすかったのでしょう。
成人式の始まりは戦後間もない昭和23年(1948年)に国の祝日法により、成人の日が制定された事で、全国の自治体で行われるようになったようです。
実は、諸塚村の中央公民館には「成人式発祥の地」の碑が、玄関横に設置されています。
諸塚で生まれ育った方は、一度は目にし、その内容を郷土学習などで話を聞いた事があると思います。
こんな山間の村に、「成人式発祥の地」の碑を刻むことにはじめて訪れる方は驚くかもしれません。
しかし、発祥の地としては他にもあるようです。
現に、インターネットで検索してみると<埼玉県北足立郡蕨町(現在の蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている>といった内容が目につくようである。
http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/menu000004600/hpg000004590.htm (蕨市公式HP)
では、なぜ諸塚村が公に「発祥の地」をうたっているのか?
年月日 | 諸塚村 | 蕨市(わらびのし) |
昭和21年日時不明 | 第一回成人講座 | |
昭和21年11月22日 | 第一回青年祭 | |
昭和22年4月3日 | 第一回成人祭 |
参考:諸塚村史(p653~655)
式典の開催日を比較してみると、蕨市(わらびのし)のほうが、開催した日は早いようである。
しかし、諸塚村では式典を開催する前に「成人講座」を開催しているようで、男子20歳・女子18歳の青年を対象に10日間の合宿での講座を行った。
この時期が、田植え等の農繁期を過ぎた時期に開催されたようなので、昭和21年の6月頃であったようだが、残念ながら諸塚村史ににはこの記載が無いようである。
私が成人式を迎えた年(昭和54年)位までは、期間や内容に違いはあれ、この講座が行われていたようだが、その後なくなたようだ。
この事は時に話題に上がることで、式典の開催としては蕨市(わらびのし)が早いが、そのうったち(きっかけ)になる諸塚村の成人講座を開催したことが数カ月早いものであると、少からずも満足している事である。
現在、さらに詳しく成人講座のことを調査されている方がいるようなので、詳細な期日等が判明するかもしれません。
別にここで、どちらが先かの論争をする気も無い。
それよりも戦後に「宮崎県一貧乏なむら」と新聞報道までされた本村が、終戦直後に青年教育を第一に行ったことは、当時の先人達の偉大さに敬服せざるを得ない事であり、ふるさと諸塚村を誇りに思える事であろう。
ところで、本日の記事にたまたま目にした関連がこちら↓
西日本新聞 22年1月11日 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/145415
◆◆◆◆◆平成22年3月8日追記◆◆◆◆◆
参考になる記事を見つけましたので、リンクいたします。
てつ校長のひとり言→私の祖母・中村ハルは成人式発祥講座の講師でした
Posted by グージー at 13:43│Comments(0)
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